2024年10月4日金曜日

ただただ感謝(XLR80R)

 およそ40時間続いた本降りの雨

気持ちは急降下、


今朝はやっと雨が上がり、

空気も徐々に乾いてくるだろう。


しかし、だ。

真夏でもないこの時期

舗装路さえ、乾いてはいない。

だから、バイクには乗りたいけれど

下回りはドロドロになる。


こんな時こそ、

気兼ねなく乗り出せるXLR80Rだ。

(言い換えると、自分の判断ではXLR80Rしか選択肢がない)


やらなければいけないことが

山積みなのに、2日にわたっての強い雨は

大誤算。


ちょい乗りでもいい、とにかく出かけよう。

ぬかるんだ土にいくつもの水たまり

足回りだけでも汚れを落とさないと・・・

何にせよ、気軽にのれるこの車両がって
朝バイクをあきらめる日がずいぶん減ったことは間違いない。
紺之介氏にも感謝しなくっちゃ!

ということで
早々と帰路についた。

さて、最近とっても気になる不自然な表現
実はたくさんあるのだけれど
一番気になるのは
「しか  ない」の使い方

タイトルに使った「ただただ   」は強調表現
(つまりそのことを最も強調したいという事だと持って使っている)

「しか   ない」・・・は限定表現であるだけでなく
     他を否定するかなり強い表現だ。

テレビのインタビューや文字でもよく耳にし目にもするが
要するに、「感謝しかない」みたいないい方は
それ以外の感情を全否定する≒不自然極まりない使い方だと思う。
「朝は果物しか食べない」といった表現は
果物以外は一切食べないという意味になる。

どうだろう!?
感謝のほかに、自分にとって良かったとか、助かったとか
違う感情もわずかながら同時に存在(混在)するのではないだろうか?
人の感情はそれほど単純ではないはずだ。
(単なる強調表現ではない、という事を念頭に使うべきだと思うのだが)

あ、「とか」の使い方もかなり不自然だと、長いこと思っている・・・(;^_^A

余談はこれくらいにしておこう。

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